AIによる産業革命と天皇の即位が重なって、新しい時代といった感覚が徐々に広まってくることでしょう。  変な塾長の子供時代(昭和40~50年代)の価値は、勤勉性そして協調性、粘り強く努力することなどでした。例えば有名大学の野球部で4年間ずっと補欠であったなどということが高く評価される時代でした。すなわち縁の下の力持ちとして努力を続けることができる人格、そのようなものが求められる今風に言えばブラックな、よく言えば家族的企業体質があり、そのような人が活躍できた、それが昭和の会社であり昭和の働き方でした。

それでは去りゆく平成の価値はどうだったのでしょうか。今思えば平成の価値は、専門性(MBAから語学力などまで)、協調性、リーダーシップなどでしょうか。

それに伴い入試も変わりました。推薦入試が増え人間性を評価するという。この方向は今後しばらくはますます強化されます。人間性の評価と言うことが可能なのか、具体的にどういう人が評価されるのかと言うと、例えば課外活動において部活動に一生懸命に取​り組んできた事が評価されるのが昭和時代とするならば、例えば海外でのインターン経験、ボランティア経験、交流や人脈(高校生なのに?!)が評価されるのが今風です。

この人間性評価入試ではそもそも庶民の家庭環境(学校の勉強と部活の両立)でトップレベルの大学(東大等)に評価される事は、学力入試で評価されるより難しいのではないでしょうか。AO入試で慶応に進んだ某学習塾の代表者は、自らの合格選考書類を公開していますが、有名政治家との交流などを写真入りでエッセイに書いて評価されていたのですから、これを庶民はどうやってマネができると言うのでしょう(^^;)。

しかしながら従来型の学力入試の方は、表現力重視など若干の修正は加えられるものの、上位の大学においては最も合格人数の多い試験方法として残ると考えられますので、著名な人たちとの交流や希少な体験を持たない庶民はこちらの道を選んだ方が賢明でしょう。

さて一部の上流階層が有利になる入学試験制度は、社会の継続性から考えて一概に否定すべきものではありません。しかしながら今般の入試改革において階層維持機能が強まる事は間違いありませんので、その中で庶民が我が子にどのような教育を施せば良いのかを考えてみたいと思います。

結論から言えば、学力入試において良い学歴を得る事に対するプレッシャーが社会全体から減っている今は、逆にその道が少ない努力で実りの多い道、チャンスだと言えるでしょう。

そもそも仕事ができる・できない以前に、学歴が出発点である(位置エネルギーである)わけですから、すなわち高い場所から出発する方がそれを運動エネルギーに変えることもできるし熱エネルギーに変えることもできる、もちろん無駄にしてしまうこともあり得るでしょうが、先のわからない時代においても出発点が高い方が成功する確率が高​のは言うまでもないでしょう。  また未来はどうなるかわからないわからないと言いつつも、IT人材が不足しているこ​とから学歴よりもプログラミング等と考えそういった方向に進むこともありだと思います。

いずれに力を注ぐにせよ、学歴にしてもプログラミングにしても、実際に10年2​0年経った後には役に立つかどうかはわからない、と言う前提で努力して獲得していくことが大切です。それが世の中の変化がはっきり見えてきた時点で高い位置エネルギーを持っているということになるので、そういう努力をしてきた人のほうが、過去の成功体験にこだわらなければ方向転換が容易であるということが言えるでしょう。

その昔ソビエト連邦が崩壊した時(社会が劇的に変わる瞬間)に、瞬時にして民主主義者となり資本主義の資本家となりうまく時代に適応したのは、高い位置エネルギーを持っていたソ連共産党の幹部であった人たちであったということが、そのことを証明しています。ソ連共産党の幹部が共産主義をたいして信じていなかったと言う事に見習えば、高い学歴を目指しながらそのことをあまり信じていないという考え方・生き方が、いかに有利であるかということがわかっていただけるでしょう。予備校のブログで一番アクセスが多いのは「早慶の穴場学部」「MARCHの穴場大学・学部」だそうですが、やはり若者は進学が投資であることをわかっています。割安株を探す感覚ですね。

逆に、老人の繰り言である「自分を見つめて、自分の興味のある学部を決めて、大学名はこだわらないで・・・」という選択は、単なる消費者(高等教育機関のお客さん)教育でしかありませんよね。もちろん消費生活が悪いわけではないです。しかし、そもそも興味感心などは一時の気まぐれに過ぎず、そのような嘘に騙されて低い位置エネルギーで人生を始めると、その後が上り坂になります。大学進学を消費とするのか投資とするのか、それはあなたの自由です。しかし、知らずに消費者としての振る舞いを教えられているのなら、そろそろ気がつきましょう!私は勉強は「将来へ投資」と考えているので、ここで見解が分かれることはあるでしょう。

さて、私たち親は子供たちに、投資として学歴を信じずに学歴を取らせるといった努力をすべきだと思います。プログラミングを信じずプログラミングを学ばせる、英語の重要性を信じず英語を学ばせる・・・いずれも社会に出る時点で位置エネルギーを獲得する手段であるということを理解して、世の中の変化が明らかになればその位置エネルギーを利用して速やかにポジションを取り直す、そう教えて目先の勉強に励ませるべきでしょう。だって、子供達の時代は人生100年時代、大学出てからさらに80年くらい生きるんですよ!何かが一生の役に立つと言ってる時点で人生50年の昭和的発想でしかないといえますよ!何度かポジションを取り直し、「一生」ではなく「三生」くらいの長い人生を乗り越えていくのが今の子供達なのです。クスリをやる元一流プロスポーツ選手のように第2、第3の人生でやらかしてしまわないように、何度かポジションを取り直すことを当然として教えて育てることが大切な時代なのです。