英語は大切ですか?英語は将来必要ですか?・・・なんて、そんなことは私は知りませんが、

「英語は入試で役に立つ」

ということだけは知っています。

乏しい才能で良い学歴を手に入れるためには、英語が役に立つのは間違いありません。

逆に言うと、勉強の才能があるならば、受験の王道である「数学」で苦労せず道を進んでいけば良いわけです。

しかし、もし勉強の才能がなくても、英語なんて言葉ですから、やれば出来ます。誰でも出来る、たかが言葉で学歴(大企業・公務員になりやすい)が手に入るのですから、「抜け道」だと言っても良いくらいです。

 私、変な塾長大沼は、小学校中学校と理科が大好きで、数学も国語も社会も良い成績でしたが、英語だけは「3」でした。(あっ、他にも音楽も美術も「3」でした笑・・・。)

 英語には興味はわかないし、勉強の仕方が数学・理科と違っているので、勉強してもぜんぜん点が取れませんでした。

 数学・理科は本質を理解しさえすれば、定期テストくらいはその場で考えれば解ける。しかし英語は、本質がどこにあるのか理解できず(本質を理解しようというところが勉強法の間違い!)、単語の綴りからして無意味な暗記であり、とても価値ある物とは思えなかったのです。下手に算数が好きだったので英語に反発したのでしょうか。中1の英語はボロボロでした→つまり3年間ずっと英語は不出来でした。(その後、高校生になって卒業するくらいには、あきらめて中学範囲から暗記をして出来るようになりましたが・・・)

 後に私は進学塾の理系講師として数学・理科を教えることになるのですが、最上位クラス(なんと東葛を滑り止めにして、私立最難関を狙う)で教えていて感じたことは、数学は上の方の連中は才能があって、これは努力だけでは勝てないなぁ、、、という事でした。そして自身の才能の有無を知るために入試はあるのかな、なんて考えました。つまり、入試に一生懸命に取り組むことで、自分と天才君たちの差を知れば、そこから先の長い人生をムダにしなくてすみますから。勝てない戦場からは早めに降りて、別のところで努力した方が幸せになれますから。

 例えば、どう見ても体育が苦手そうな外見の子に、逆上がりを特訓して、出来なくて、もっと特訓して、さらに特訓して、1000回やらせて出来ました!「ほらね、やれば出来るんだよ」と言うのは良い教育なのでしょうか。

本人が望んでの特訓なら良い教育でしょうが、そうでないならそれは指導者の自己満足でしょう。体育、音楽などは、持って生まれた物(才能)に大きく左右されます。その子に向いていることを伸ばしてやるのが本当の教育(人間の優しさ)でしょう。

 ひるがえって、あのつまらない暗記に思えた英語は、やり方に工夫は必要ですが、基本的に努力量が成果になる科目だと気がつきました。ありていにいえば、バカでもやれば出来るのが英語(アメリカ人イギリス人にもバカな人はいるでしょう??)。そして英語が出来れば早慶MARCHなど文系の有名大学には入れる。東大と早稲田ではレベルが違うかもしれませんが、それでも社会に出たらそれほど大きな差を付けられる扱いはされません。そう考えると東大の方が明らかにコスパで劣るでしょう。それなのに、そんなラッキーな道があるのに実際にはそれを生かしていないご家庭が多すぎると思っています。

 今日本語をしゃべっているお子さんなら、アメリカで生まれていたら英語でしゃべっているはずなんですね。つまり、今英語が出来ないのは環境(努力)要因だけで、生まれながらの能力(才能)の問題ではないわけです。

 さて、そこでポイントとなるのは中1の英語です。

 小学校の5年から英語が教科になった(なる)と言っても、小学校の評価(通知表)はデタラメです。デタラメが言い過ぎなら、先生の主観的評価といいかえましょう。客観性がないのです。中学校では通知表は同様に信用できませんが定期テストの点数と学年順位は客観的評価として信用できます。つまり、英語力が客観的に評価されるのは中1が初めてなのです。

 だから中1英語で、点数を取って下さい!

中1が、毎日英語ばかりやっていたら、どんな子でも英語だけは良い点が取れます。

中1の終わりに英語が90点だったら、中3まで英語は得意でいられます。これは成績の統計から言えることです。

 もちろんその後から目覚めて逆転をしていく生徒もいますが、そんなイバラの細道を最初から考えるのではなく、統計的にそうなっている楽な道を、心がけて進めばいいのです。

特に、親が代わって勉強することが出来ない受験では、「中1英語90点」というレールだけ意識して我が子を乗せれば、あとは親の言うことを聞かなくなる中2、中3と子供の自由にしてもいい方向に進んでいきます。

 現実は、多くの生徒が「簡単な中1英語で努力不足」→手を打たず放置→中3部活後から逆転を狙うも→及ばずぱっとしない学歴、なのです。反省して中3から続けて高3までしっかり勉強すれば大学受験には間に合うかもしれませんから、それも良い経験とは言えますが。

現小6のみなさんへ

どうか、中1の間だけは英語をたくさんやって下さい。

大変なのは最初の1年だけです。

※「数学は才能が大きい」の意味・・・入学試験のレベルなら才能なんてなくても努力で大丈夫です!

もし才能なんてなくても小学校の算数がふつうに出来たならば、努力すればお子さんは東大の数学入試問題を解くことも出来るようになると思います。

ただ、才能のあるお子さんの何倍も時間がかかると思います。才能がある人が直観でわかることが理解できず、そこを暗記で済ませるなどの工夫も必要になるでしょう。

仮に3倍時間かかるとすると、そこまで時間をかけて東大に入るより、「英語と小論文」だけで慶應に現役で進む方がお得なのではないか、と私は言っているのです。スポーツと違って勝利への抜け道(幸福への抜け道?)が、無数にあるのが受験勉強ですから。

※新中1は中3からハイレベルな新英語教科書に切り替わる移行措置で学びます。

文科省のもくろみ通りならば、小6で英検4級、中3で英検準2級になる世代です。

英語が出来る人だらけになる、新世代の先頭なのです。